解放方針

2000年7月12日制定

 

はじめに

私たちの教会は日本の社会(注1)に建てられていますが,そこには様々な差別や抑圧が存在しています。部落差別はその一つです。生まれ(血筋・家柄,出身地,居住地)によって人間を賎しめ,排除するもので

す。このために多数の人々が,日本の歴史を通し,全国各地で,社会の諸領域で,また,生活の様々な面で辛酸をなめさせられてきました。

そこで1922年,被差別部落の人々は,全国水平社を創立し,自らの力で解放を実現していくために初めての全国的,組織的な部落解放運動を開始しましたD この闘いは時代を越えて受け継がれ,今日では部落外の人々も多数加わって日本の各地,各領域で展開されています。

日本基督教団が部落差別について組織的な取り組みを開始したのは,1975年のことです(注2)。 1981年には,取り組みを日常化し,強化するために新たに部落解放センターを起こしました(注3)。 1995年には部落解放センターを教憲・教規に明文化して教団の宣教機関として位置づけました。

この方針は以上のような教団内外の経過の中で,日本基督教団として更に着実に部落差別問題に取り組んでいくために,その現状認識と目標,姿勢と方策を明らかにするものです。具体的な作成目的は次の通りです。

 

1 日本基督教団としての固有の部落解放方針を確立する

私たちキリスト者は,主イエス・キリストを通して神から愛されている存在として人間を理解します。人間は誰もが等しく神により創造され,神の愛により固有の尊厳を与えられた掛け替えのない存在です。この信仰によれば,人間の等しい命の価値と平等と尊厳を否定する部落差別は,神の創造の御旨を否定し,被造物としての人間に対するゆるすべからざる冒漬です。

この理解において私たちは,部落差別を単に歴史的,政治的,社会的側面からだけでなく,様々な差別や抑圧を生み出す自己の罪に深く関わる問題としてとらえます。

この方針は以上のような私たちの信仰に立ち,ゆるされて生きる者にふさわしく,いまもなお教会において,また,社会において結婚差別や就職差別,生活の中での様々な差別言動として現存する部落差別の解決に努めようとするものです。

 

2 教団の今後の取り組みを諸教会に明らかにする

1975年以降の教団の取り組みは,諸教会の祈りと支えによって継続されてきました。 また,常に諸教会に訴え,意見を聞くことによって積み重ねられてきました。教団の取り組みは基盤となる教会を抜きに考えることができません。そこでこの方針によって教団は,今後,部落差別についてどのように取り組んでいくのかを明らかにして諸教会に対する責任を果たすとともに,更なる支援と参加を訴えるものです。

 

3 諸教区と教団が一層,力を合わせる

教団に取り組みが起こされて以降,教区でも組織的な取り組みが始まりました(注4)。今日では全17教区の内,16の教区に組織が設置されるに至っています(注5)。こうした教区での主体的な取り組みは今後も期待されるところです。しかし,同時に各教区と教団が個々バラバラにではなく,互いの主体性や多様性を尊重しつつもある程度の共通認識のもとに連帯して取り組むことが建設的です。そこで教区・教団が共通の方針を持つことにより一層,力を合わせて教団全体の部落解放運動を前進させようとするものです。

 

I 教区と教団がめざすもの……部落差別の現状認識と部落解放の方向

部落差別に対する被差別部落の人々の長い闘いの結果,1965年,政府の諮間機関である同和対策審議会の答申(以下,「同対審答申」)が出されました。この答申は,部落差別の解決は「国の責務であり,国民的課題である」(注6)としたものです。以後,国や自治体は部落差別の実態,並びに原因は特に被差別部落の生活状況にあるとし,その居住環境や生活環境の改善をはかってきました。その結果,これらは「同対審答申」当時と比べて飛躍的に改善されました。

しかし,同時に課題が浮び上ってきました。それは依然として結婚差別や差別言動等の部落差別事件が絶えないことです。1970年代からは差別落書きが各地で頻繁に起こるようにもなりました。中でも明瞭になったことは,部落外の人々と被差別部落の人々の関係が上記のような被差別部落の居住・生活環境の改善にもかかわらず本質的に変わっていないことです。個人差や地域差があり画一的に言えませんが,今日なお一般に部落外の人々の意識の中には被差別部落に対する特別視や偏見,差別意識が存在しています。その結果,被差別部落の人々の中にも部落外に対する不信や自己を閉ざす傾向があります。これは両者が<差別-被差別>の関係に縛られていることを示し,依然として部落差別事件が絶えない今日の状況もここに集約されます。

更に,こうした両者の関係の背後には今日において部落差別を制度的,文化的,社会的に生み出す日本の社会(天皇制により人を貴賎づけ,能力主義や競争によって人を価値づける社会)があり,今日の部落差別の問題の所在は,こうした社会構造の中での部落外の人々と被差別部落の人々の,人と人との関係のゆがみにあると言えます。

この部落差別問題に対して日本基督教団は二十数年にわたって取り組みを重ね,その輪が各地で広がってきました。しかし現在も大きな問題が存在しています。それは,今日なお多くの教会において部落差別に対する問題意識が希薄な点です。地域差があり,教会の多様性を考えると画一的に言うことはできませんが,教会の中にも被差別部落に対する特別視や偏見,差別意識があり,キリスト者による部落差別事件も絶えません。これは教会も社会と変わらないということであり,<差別-被差別>という人のつながりのゆがみは教会の実態でもあります。

教区・教団の目標は,こうした教会内外での部落外の人と被差別部落の人の関係のゆがみの変革です。両者の関係において,部落外に生まれたことや被差別部落に生まれたことを何ら特別視せず,互いにそのまま受けいれ合う,そうした人と人とのつながりを信仰の証として教会や個人の生活の中に創り出し,教会の福音宣教として地域社会の中で広げていくことが教区・教団のめざすものです。

 

II 部落解放方針……<差別-被差別>関係の変革のための姿勢

教区・教団は,上記の目標を実現するために今後,次の姿勢をもって取り組みます。

 

1 個人のあり方を大切にする

部落差別が人と人との関係のゆがみの問題であるということは,部落差別を無くしていくためには個人一人ひとりのあり方が大切だということです。人間の尊厳は一人ひとりの固有性にありますが,部落解放も固有性を持った個人どうしとしての,人と人とのつながりが土台です。

そこで個人,並びに個人のあり方を大切にし,その一人ひとりである「わたし」が生活の中で部落差別を拒否すること, また,部落差別に負けないことをめざすとともに,そうした個人の輪を広げていきます。

 

2 部落差別を生み出さない社会構造を求めていく

個人のあり方が重大ですが,その一人ひとりが部落差別を生み出す社会構造の中で生きていることも事実です。そのために,部落差別を拒否し,部落差別に負けない個人をめざすと言っても,社会構造の影響力を無視できません。また,部落差別はそれだけが孤立して存在しているのではなく,同じ社会構造から生み出される様々な差別や抑圧と絡み合って存在しています。

そこで個人のあり方を大切にする一方,部落差別を含む様々な差別や抑圧を生み出さない社会構造を私たちは求めていきます。

 

3 部落解放を推進する教会になる

部落差別が日本の社会構造と,そこに生きる個人によって維持されている中で,私たちは次のような教会をめざします。

①部落差別を拒否し,部落差別に負けない個人を育む教会。

②部落外に生まれたことや被差別部落に生まれたことをそのまま受けいれ合う人と人とのつながりを育む教会。

③地域社会の中で部落差別に苦しめられている人々が集うことができ,信頼される教会。

④地域社会の中で部落解放の意思表示をする教会。

 

4 部落外,被差別部落の両者が共に部落差別問題を担う

部落差別は,被差別部落に対する部落外の人々による差別問題です。差別される人間に非はなく,差別する人間に非があります。しかし,同時に部落差別は両者の関係のゆがみの問題であるために,どちらか一方だけで解決できる問題ではありません。また,現在の<差別-被差別>関係は両者が生きている同じ社会構造を背景にしており,この意味でも部落差別は両者が共に担う必要のある問題です。そこで,これらの自覚の上に立った両側からの取り組みを私たちは推進します。

 

5 部落外の人と被差別部落の人の相互理解を育む

<差別-被差別>関係を変革していくためには両者が互に個人として出会い,理解し合うことが必要です。そこで部落差別問題研修会や交流会という出会いの場を積極的に作っていくとともに,地域の実情によって最も良い形で,各地での教会と被差別部落の間に人の交流を推進します。更に,部落差別問題以外の様々な差別や抑圧等の社会的諸問題についての両者の連帯を推進します。

 

6 信徒と教師の両者による取り組みをめざす

教区でも教団でもこれまでの部落差別問題の取り組みは教師中心になりがちです。しかし,信徒不在の取り組みは部落差別に対する教会の取り組みを砂上の楼閣とするものであり,信徒と教師が協力しあってこそ教会の取り組みです。そこで,信徒と教師の協力による部落差別問題の取り組みをめざします。

 

7 「部落解放・教会の解放・『わたし』の解放」をめざす

今日なお部落差別について問題意識の希薄な教会が少なくないのは,各教会の置かれている地域状況も関係していますが,本質的にはキリスト者・教会の日常が,部落差別があってもなくてもどうでもよいものになっているからです。別の言い方をするなら,総じてキリスト者の信仰,教会の宣教が部落差別の現状に届いていないということです。また,これまでの教区・ 教団の部落差別問題の取り組みが,教会の解放や「わたし」(一人ひとりの個人)の解放に届いていないということです。

そこで,「部落解放・教会の解放・『わたし』の解放」という,これら三つの事柄を切り離さない取り組みをめざします。

 

III 部落解放方策……これからの取り組み(注7)

教区・教団は,以上の現状認識と目標,方針を元に具体的に次の取り組みを進めます。

 

1 部落解放全国活動者会議の開催

各教区や教会,また,その置かれている地域の現状をしっかりとふまえ,地に足のついたキメの細かい取り組みを各地で実践していくために部落解放全国活動者会議を開催します。

 

2 部落差別に問題意識を持つ人々の育成

①部落解放信徒講座の開催。

②部落解放青年講座の開催。

③キリスト教学校・施設での部落解放教育の推進。

④神学部・神学校での人権教育の推進。

⑤神学生の部落解放実習の推進。

⑥部落解放神学生大会の開催。

⑦Cコースによる教師志望者(注8)部落解放講座の開催。

⑧部落解放新任教師・キリスト教教育主事講座。

⑨部落解放牧会者講座。

⑩宣教のあらゆる現場での部落解放講座の推進。

 

3 各地の教会と被差別部落の交流の推進

①被差別部落での部落差別問題研修の推進。

②被差別部落での諸活動への教会からの参加の推進。

③被差別部落伝道の推進。

④狭山差別裁判ほか部落解放の諸課題についての教会と被差別部落の連帯の推進。

⑤社会的諸課題(例/他の差別問題,環境問題)についての教会と被差別部落の連帯の推進。

 

4 部落差別に対する教会の取り組みの推進

①「部落解放への祈り」を設定し,全国の教会で析りの中に覚えていただく。

②教区での取り組み組織の強化をはかる。

③「部落解放・教会協議会」の開催。

④「聖書の読み方と部落解放」協議会の開催。

⑤部落差別の現実に届く礼拝や説教の追究。

⑥部落差別問題にしっかりと向き合う牧会の追究。

⑦書籍『部落差別と闘ったキリスト者」の出版ほか各種啓発冊子の発行。

⑧教団部落解放全国会議の推進。

⑨狭山差別裁判ほか日本社会での部落解放の諸課題への取り組みの推進。

⑩各種の反差別署名運動。

 

5 反差別連帯の推進

①反差別合同協議会や教団での反差別連帯の推進。(注9)

②各地での反差別連帯の推進。

③インドのダリット解放運動やその他諸外国での反差別運動との連帯

 

(注1)多民族社会としての日本社会。

(注2)部落差別問題特別委員会のこと。なお,1958年開催の第十回教団総会に西中国教区から「部落問題の研究と推進」が建議されたり,1962 年の第十二回教団総会には有志により「部落並びに底辺伝道に関する建議」がなされています。

(注3)大阪府四像畷市に四篠畷教会の協力を得て開所o 1993年,同大東市に移転。

(注4)大阪教区ではすでに1961年に部落伝道委員会が組織されています。

(注5)ただし,形態は様々です。専任の組織が設置されている教区が一般的ですが,社会委員会の中に担当者が置かれている場合があり,支区代表者による組織が設けられている場合もあります。また,教区独自の音5落解放センターが開設されている教区もあります。

(注6)「国民的課題」とされたことは部落差別の重大性をはっきりさせた意味で評価されます。しかし,「同じ国民だから差別は許されない」との考え方も見てとれ,民族や国籍が異なる場合は差別が正当化されかねません。こうした考え方は「同対審答申」だけに見られるものではなく,私たち自身が差別問題を考えるときに陥る重大な落とし穴でもあります。

(注7)上記の『皿部落解放方策」では教区・教団の取り組みをまとめて記述していますが,内容によって,また,現状において教団が中心的に担うことがふさわしいもの(例/部落解放全国活動者会議)と,教区が中心的に担うことがふさわしいもの(例/部落解放信徒講座),あるいは,両者が協力し合うことの必要なもの(例/部落解放全国会議)があります。したがって,これらは各教区と教団が相談の上,また,各教区の状況に合わせて行うものです。

(注8)      神学校・神学部によらない教師志望者のこと。

(注9)      沖縄差別,在日韓国朝鮮人差別,アイヌ民族差別,外国人労働者差別,性差別,性的少数者差別,障がい者差別,ハンセン病差別,HIV感染者差別,その他の差別問題に取り組む人々との連帯のこと。