日本基督教団部落解放センター設立の経緯

1994年7月12日制定

2012年7月10日表題変更

一 部落解放センター開所経過

部落解放センターは部落完全解放の日まで、教団が全国的、組織的に部落差別問題に取り組んでいくために、1981年11月8日大阪府四篠畷市に開所した。

開所への端緒は、1958年10月21日~24日開催の第10回教団総会に西中国教区から提出された一つの建議案に求めることができる。同教区は前年広島市内に建てられた広島キリスト教社会館の活動を背景に、「未解放部落〔注1〕問題に関する件」として教団に部落差別に対する取り組みを求めている。教団総会はこれを常議員会付託とし、常議員会は社会委員会に委託した。

社会委員会は、西中国教区社会部主催第1回部落問題研究会(1959年7月)を後援し、三教区(京都、大阪、兵庫教区)合同社会問題ゼミナール(1960年10月6日~7日)や西日本部落伝道協議会(1961年9月6日~8日)を開催した。また、有志の会である東京キリスト者部落問題懇談会に協賛し(1962年)、1974年には第17回教団総会(1973年)からの付託事項として狭山差別裁判を課題として取り上げている。このように社会委員会の取り組みは、教団総会付託事項への対応にとどまったと言わねばならない。

一方、自発的に取り組むキリスト者・教会があった。一つは1962年2月26日に結成されたキリスト者部落対策協議会(後、部落解放キリスト者協議会)で、教団所属の有志キリスト者が参加した。また、兵庫教区明石教会や西宮公同教会、その他、いくつかの教会やキリスト者が1970年代より、あるいはそれ以前より取り組んでいた。しかし、いずれも教団としての取り組みを生み出すには至っていない。

これを脱するのが、1974年6月23日に起こった「豊中教会代務牧師部落差別発言」に対する取り組みである。

当時、大阪教区大阪淡路教会の青年たちが、部落解放をめざし被差別部落から立候補したU さんを参議院議員とするための選挙活動をしていた。

これは、同教会を訪れたひとりの被差別部落の女性との出会いをきっかけにしている。「豊中教会代務牧師部落差別発言」はその選挙活動の中で同教会に電話で支援を呼びかけた青年への同牧師の次の言葉である。

「Uさんの選挙運動のようなものは、キリスト教のわかっていない人がやっている」

「部落問題は終わっている」

「この近くにも特殊部落〔注2〕がある」

発言は一人この牧師にとどまらず、キリスト者・教会の部落差別に対する一般的姿勢であると受けとめられ、教団内外から取り組みが起こされた。部落差別に対して日常無関心・無責任であり、そのためにキリスト者・教会の生活に部落差別が温存されているとの認識であった。

取り組みの中から他のキリスト者による多数の部落差別諸文書が発生している事実も明らかにされ、1975年5月15日、教団は、大阪府、大阪市の立ち会い〔注3〕のもと、部落解放同盟中央本部、同大阪府連合会、同東京都連合会から確認と糾弾〔注4〕を受けるに至った。ここから教団は、第18総会期第3回臨時常議員会(1975年7月14日~15日)で部落差別に対する今後の教団の姿勢として次の5項目を確認し、部落差別問題特別委員会(以下、特別委員会)の設置を決議した。

「一 今日まで、教団における部落解放の運動は、一方において断続的になされたが、それにも関わらず、差別はくりかえし行われてきた。われわれはこの運動が継続せず、また差別がくりかえされた理由を明確にする必要があることを認める。

二 部落完全解放は国民的課題であるにも関わらず、われわれのそれへの取り組みは不十分であったばかりか、むしろ差別者側に立っていたことを痛感する。

三 教団に部落を完全解放するための特別委員会を設ける。

四 一九七六年度各教区総会において、 部落を完全解放するための具体的方策を決定することができるよう、各教区に要請する。

五 各教会が、この問題と取り組むように啓蒙活動及び実践に努める」

教団は特別委員会による取り組みを開始したが、当初から「委員会活動では部落差別問題に十分取り組めない」との自覚が委員の中にあった。自覚が具体化されるきっかけは、1978年11月8日~10日第20回教団総会による「第13回日本基督教団総会報告書の中にある差別文書についての決議」によってもたらされた。同報告書の「内外協力会問題研究委員会報告」の中に「『ゲットー』は中世紀のョーロッパの、特に主としてイタリヤで昔ユダヤ人の居住地に指定された地区、いわば特殊部落〔注2〕である」とあり、被差別部落を「悪の代名詞」とたとえたものであった。第20回教団総会は同報告書を部落差別文書と確認し、「部落差別が福音信仰に反することをここに改めて告白し、このざんげの思いをもって今

後部落差別との取り組みを徹底して継続してゆく」と決議した。この「取り組みの徹底継続」を具体化したものが部落解放センターである。

1979年6月20日~21日、長野県小諸市で開かれた第20総会期第2回特別委員会は「(仮称)教団センター」の必要性について協議した。この「教団センター」は、第20総会期第4 回常議員会(1980年2月26日)で部落解放センターとして構想され、第21回教団総会(1980年11月5日~7日)に常議員会提案として上程された。提案は常議員会付託となり、第21総会期第1回常議員会(1981年1 月13日~14日)が教団部落解放センター設置を決議した。

1981年9月10日、委員会が組織され、同年9月24日に部落解放センター活動委員会が組織された。これらを経て1981年11月8日、大阪教区四篠畷教会で開所式を実施し、活動を開始したのが部落解放センターである。

部落解放センター は1993年11月1日、日本基督教団事務局大阪分室として大阪府大東市緑が丘2丁目16番14号に移転した。

〔注1〕 未解放部落

第二次世界大戦後、部落解放運動や部落問題研究、「同和」教育の中で使用されるようになった被差別部落の呼称。徳川幕藩体制下での身分制度にたどる被差別部落が、1871の「解放令」以後も社会的に差別の対象とされているとの意味からこのように呼称された。

〔注2〕 特殊部落

「明治」期より被差別部落に対する呼称として使用され始めた言葉。被差別部落の人々が「新平民」と差別的に呼ばれる中で、行政が新たにこう呼称した。しかし以後現在まで多くの場合、被差別部落を差別する際に用いられるに至っている。上記の「内外協力会問題研究委員会報告」のように、マイナスのたとえとしてこの言葉が用いられる場合も多数起こっている。

〔注3〕 立ち会い

1969年施行の同和対策事業特別措置法に基づくもの。同4条で〈国及び地方公共団体の責務〉として「国及び地方公共団体は、同和対策事業を迅速かつ計画的に推進するように努めなければならない」と述べている。この同和対策事業のーつが、「対象地域の住民に対する人権擁護活動の強化を図るため、人権擁護機関の充実、人権構想の普及高揚、人権相談活動の推進等の措置を講ずること」(同6条)である。

〔注4〕 確認と糾弾

部落解放同盟は、部落解放運動の取り組みのーつとして差別糾弾闘争を行っている。これは被差別部落の人々にとって部落差別に対する抗議であるとともに、生存権の行使である。差別をした人間や組織にとっては、自らを部落差別から解放していく機会である。

解放同盟は、差別糾弾を確認会と糾弾会の二段階に分けて行っている。確認会は、差別事件の内容を明らかにするものである。糾弾会は、当該の事象がどう部落差別であり、それがどこから起こったのかを明らかにし、原因の克服を働きかけることを通して差別をした人間や組織に部落解放への自己変革を求めるものである。

この差別糾弾に際し、教団の場合は会見の形で行われた。これは、当時取り上げられた諸部落差別事象が教団内部からの指摘によったことに理由があると考えられる。しかし教団としては、主体的に確認・糾弾として受けとめた。

二 日本基督教団部落解放センター規約制定経過

第26回教団総会(1990年11月13日~15日)は、部落解放センターを教団の一機関として教規第55条に位置づけた。

それを受け部落解放センター委員会は第26総会期第1回委員会(1991年2月7日~8 日)において、「部落解放センター規約作成委員会」を発足させた。以来、部落解放センター活動委員会、部落解放センター委員会で検討を重ね、第26総会期第5回委員会(1992年7月13日~14日)、および第27総会期第4 回常議員会(1994年1月24日~26日)の議を経て、日本基督教団部落解放センター規約が決定された。

三 決意表明

日本基督教団と諸教会は、部落差別問題が完全に解決される日をめざして活動することを決意する。

部落差別問題は天皇制による日本の社会構造に組み込まれた社会問題である。さらに、差別される者だけでなく差別する者の人格をも破壊する社会悪であり、反福音的問題である。

部落差別の撤廃は我々にとって社会的責務であると同時に、すぐれて福音的課題であり、全教会がすみやかに取り組むべき問題である。

日本基督教団における部落解放の取り組みは、1981年11月の部落解放センター開所以来本格化されてきた。

12年間の活動を通して全国的にも同労の友を多数与えられ、被差別部落大衆との連帯も深まりつつあることは我々の喜びとするところである。

しかし一方、教団内での部落差別は後を断たず、解決しなければならない問題が山積していることも事実である。部落差別を存在させる社会構造も変わっていない。

この現実をふまえ、部落解放センターと諸教会の取り組みを一層充実させることは我寿に課せられた重大な課題であり、急務である。

我々はここに宣言する。

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」との全国水平社宣言の祈りを我がものとしつつ福音の基本精神に立脚し、部落差別の完全撤廃をめざしてさらに前進することを。